*「紛争の被害者を平和構築の担い手に」JCCPはアフリカ・中東の平和構築を支援する認定NPO法人です。 

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JCCPのカンボジアでの活動(過去の事業)

1991年に結ばれた「カンボジア紛争の包括的な政治解決に関する協定(パリ協定)」に基づき内戦が終結したカンボジアは、1992年‐1993年の国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)による統治、選挙の実施を経て、平和な国づくりに向けた歩みを始めました。 JCCPは、2001年11月からカンボジアでの活動を開始しました。JCCPのカンボジア事業は、紛争の再発を防ぐため、まず治安を確保したうえで地域開発を行う形で進められました。

2005年には小型武器回収事業を終了し、カンボジア社会において治安回復と安全の確保が達成されたとの判断から、現在は教育支援、少数民族支援、地域開発に重点を置いた支援を展開しています。

カンボジアの紛争

カンボジアはポルポトが率いるクメール・ルージュが1975年に政権を握って以来、長い間民族紛争に苦しんできました。カンボジア全人口の4分の1ともいえる、100万から200万人の人がポルポト政権によって殺されました。なかでも、学者などの教育関係者や政治家、宗教指導者は特に標的にされ、拷問や強制労働、飢餓や病気のために多くの人が亡くなりました。そのため、カンボジアの生活基盤は社会的にも制度的にも崩壊してしまい、国家としてほとんど機能しなくなってしまいました。ポルポト政権は1979年に隣国のベトナム軍によって追放され、親ベトナム政権が建てられましたが、1991年にパリ和平協定が最終的に締結されるまで派閥間の争いはずっと続いていました。

国連により1993年に選挙が行われた結果、緩やかな連立政権が発足しました。そして、その政権のひとつであったカンボジア人民党の代表であるフン・センが現在は首相に就任しています。公式にはクメール・ルージュは1998年に降服したとされ、国連とカンボジア政府間の長年にわたる交渉の結果、2008年にカンボジア戦犯法廷が開かれることになり、そこで元指導者たちは裁判にかけられることになっています。

1992年から1993年にかけて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)のもと、カンボジアは国際社会の協力を得ながら復興および平和構築に集中的に取り組んできました。その結果、治安維持、兵士の武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)、選挙実施や難民の帰還などにおいては成功を収めた一方、地雷除去や移行期正義、ガバナンス、教育の普及、貧困、少数民族間の格差等の問題に関しては、いまだ課題を抱えています。カンボジアは、紛争から復興期を経て着実に前進している一方、社会の安定化を確かなものにするために取り組むべき課題も存在しています。